実は、私の耐久レース戦績は散々な物である。
1996年、フォーミュランド仙台での4時間耐久
2000年、無限プレイングカートフェスティバル
この2つしか勝っていないのだ。

何度と無く、すり抜けていった表彰台。
今年こそは、必ず手に入れる、、と誓ったのだが。。。

11月17日
この日、やっとマシンに触ることが出来た。
今シーズンのQ!!Maru CUP は23日の8耐を含めて3回しかない。
前回が6月だったので、どれだけ放って置いたんだろうか?
また、今年はKT100エンジンのレースにも参戦していて触るヒマがなかった。

ほとんどのパーツの点検をすることになる。
まずは、一番問題になる駆動系のベアリング。これは絶対に交換。
次に、セカンダリスライディングシーブの変速溝。これも交換。
コンプレッションスプリングは悩んだあげくにスタンダードレートを選択する。

この日から5日間、かなりの部分を弄くり回す。
キャブインナー交換。プーリー・ベルト交換。ピストン回り交換。ヘッド交換。
リードバルブ交換。マフラー洗浄。フロントパネル交換。。。
今回のマシンセッティングは以下のような物だ。

プーリー カメレオンファクトリー(P208)
ドライブフェイス カメレオンファクトリー
ドライブベルト カメレオンファクトリー(VBS-YA900)
ウェイトローラー 6g × 6
コンプレッションスプリング デイトナ(22031)
クラッチリターンスプリング カメレオンファクトリー(P208付属)
ドライブスプロケット 52T
ドリブンスプロケット 標準


そして実は
今回の大仕事は別のところにあったのだ・・・(笑)


この大仕事とは、電装品の装着である。(爆)
今まで、話題としては上がってきていたウィンカーランプ、ホーンを付けようと言うのだ。
しかし、問題は2つ予想された。
1つは、パーツの選定は出来たとしても果たしてそれでバッテリー容量が足りるのか?
もう1つは、取り付け方法の見本が全くない状態でどうやって装着するか?

バッテリー容量の問題は、FK-9ユーザーでは懸案となっていた。
今までは、ライトの電気をバッテリーから直に取っていた。
これだと、発電容量を超えてしまい、ピットイン後再スタートができないことがあったのだ。
これは発電機側からのラインを発見できて解決できた。

しかし、ウィンカーランプとホーンは誰も付けたことがない。
いろいろと場所を探りながら、ステーを追加し、やっと取り付ける。
今度は配線と、スイッチの配置である。
思っていたより時間がかかり、前日を迎えてしまった。

こんな面倒なことを、なぜ「やろう!」と思い立ったのか?
これには深い訳がある。
ある場所で書いたことだが、最近のFK-9レースに危惧を感じていたからだ。

もともと、Q!!Maru CUP とは、救済活動である。(^^;
ほとんどのFK-9オーナーは、それを所有してしまったからこその苦難に陥る。
走る場所がない、重い、パーツ類が多い・・・等々。
それを逆手にとって、できるだけ楽しくレースをしたいと考えたのが最初である。

そして、いろいろな種類のマシンがリリースされてしまったことによって
長所・短所が入り乱れてしまった現在、
それを文章で規則化していくのは大変難しい。
昔のマシンのパーツは手に入りにくくなる一方である。
それで、最低限のパーツ交換は認め、
その他の楽しみ方を感じて欲しいという趣旨が出来上がった。

しかし、その趣旨が読み飛ばされつつあり、勝負にこだわるがために
趣旨を逸脱したパーツ選定が行われる可能性が感じられた。
これらを、また文章で制限していくのも難しい。
新しい部品が必要なオーナーが居るのも事実だからである。

だったら、その趣旨を説明するのではなく
実際にやってみよう!と思い取りかかった作業が
ウィンカー・ホーンの取り付けなのである。

とはいえ、レースに向けての準備・・・
いわゆる純粋なスピードのセッティングもおろそかに出来ない。

とにかく少しでも走ってみようと思いコースにマシンを進めた。
決勝前日の、最終走行時間あたりのことである。


エンジンパーツ・駆動系パーツを交換したので慣らしも必要だ。
しかし、いつものことだがコースインして2周そこそこで全開を試したくなってしまう。(笑)
ガソリンは約3.5リッター位入っている。
燃費確認もかねてこのまま連続走行にはいる。

路面は冷えていた。タイアも昨年の8耐で使ったタイヤ。(!)
恐ろしく固くなっていてまるで石のようになっている。
とにかくおもしろいくらいに滑る。が、景色は非常にゆっくりと流れていく。
実は、KT100のレースに出ており、久々のFK-9のため戸惑っているのだ。
KTでのベストラップは55秒4。FK-9は62秒から64秒。この差は大きい。

他のチームが速くとも4秒台のところ、3秒に入る。
そして、ガス欠症状が出たのが37周目。
55分のスティントのためには50周ぐらいになるのだが
この燃費だと満タンでギリギリと言うことである。
スピードも充分であり、燃費も悪い方じゃない。
ただ組んだだけでここまで出来たのは偶然なのだが気持ちが楽になったのは事実である。

その後、大阪から参戦しているFuryou Oyaji のGX200に乗ってみる。
もちろん、オイルが入っていることを確認して、だ。(笑)
これが、非常におもしろいマシンなのだ。おもしろすぎて5周も走ってしまう。

こんな事をしている場合じゃない。電装の配線がまだなのだ。
結局、この37周だけでテストは終了。
普通なら、スピードを求めあれこれ弄り始めるのだが、今思うと不思議である。


11月23日。決勝当日。
心配していた天気も何とか持ちそうだ。が、確かに寒い。

今回のドライバーは、FK-9で3度チャンピオンを取っている杉山。
久々の登場、春名。そして、私である。
前回もそうだったが、チームは気心が知れているのが良い。
作戦でも、細かい作業でも言えば間違いなくやってくれるという安心感は大切である。
タイア交換、燃料の準備、その他を素早く伝える。

私は今回も忙しい。
チーム監督でもあるウチの妻も走り回っている。
杉山はいつものように奥さんとキャンピングカーで登場。
食事の心配だけは全くしないで済みそうである。

今回はレンタルマシンも8時間の耐久である。
この日がデビューとなったSUGOの新車(!)FK-9W。
今時こんなピカピカの新車はどこを探してもないだろう。

2人のドライバーに電装スイッチの使い方を教える。
今回のマシンには4つのスイッチが付いている。
バッテリーボックスにヘッドライト・テールライトのスイッチ。
これは発電機から直接引っ張っているラインである。
手元には3つのスイッチがある。
左側にホーンスイッチ。右側にウィンカースイッチ、ハザードスイッチである。
本当はライトパッシングスイッチも用意していたのだが時間切れ。
ハザードスイッチは常時ON型を考えていたのだが、買ってきたスイッチの不良で
押しながらウィンカースイッチONという面倒な操作になってしまった。

あっという間に予選タイムアタックの時間が来る。
日没が早く、気温も下がるのでスケジュールを早めているのである。
1回目のタイムアタックでは5秒台しか出ない。
しかし、不思議と気持ちは焦っていない。
いつもなら、セッティングの変更を考えるのだがそのまま2回目を迎え、
3秒台にタイムは入っていく。ここでの順位は6番手。

私は、結果表を見ながらメンバーにこういった。
「よし、これでいいんだ」

「これでいい」と言ったのには訳がある。
通常のスプリントレースならば、もっとセッティングを変更してタイムアップを図る。
しかし、8時間耐久では、エンジンの出力低下がひどいため
その時点での状態に照準を合わせる必要があるからだ。
だから、最大のエンジン回転数がどのあたりになっているかを見極め
それが落ち込むことを予想するのだ。
しかし、今思うとよく冷静に考えていられたなと思う。
もちろん、確信があったかと言えばそれは無い。

このあと、8時間にわたって
期待と不安が我々にプレッシャーを与えることになる。


決勝のグリッドに各マシンが揃い始める。
ポールポジションは迫さんの#3王子様チーム。
彼らは木曜の夜中までセッティングを続けて参戦してきた。
そして、前回2位の#55北海道チームが2番手からのスタートとなる。
が、一番驚いたのは、#31 Furyou oyaji のGX200である。
本人たちは当然狙っていたのだろうが、実際に4番グリッドを取ってしまった。
各チームもかなりタイムが揃っており、トップから2秒遅れまでに12台が入ってきた。
前回の覇者、#21 TECH21 Racing は14番手と苦戦。
これからの8時間、激戦が予想される。

フォーメーションラップがはじまり、各マシンがグリッドに戻ってくる。
シグナルがグリーンに変わりついにレースがスタートした。

序盤トップに立ったのは2番手スタートの#55 北海道チーム。
そして、それをポールスタートの#3 王子様チームが追いかけ
3番手以降に耐久キング#7 大坂チーム、#11 佐々木チーム、ウチの3台が続く。
これを、スタートを失敗した1台のマシンが猛然と追いかけてきた。
それが、なんと奇跡のホンダミュージック(^^; #31 Furyou oyaji のGXだったのだ。
安定したペースで前を行くマシンを追いかける。
#3 がアクシデントで後退、#55 もペースが落ち始める。
各マシンがドライバーチェンジを行い、#33 ウチのマシンに春名がムチを入れる。
トップ争いは、#33 と なんと #31 Furyou oyaji になったのである。


さて、3時間にさしかかろうと言うところで、私のスティントになる。
昨年もトップ走行中の3番目のスティントでマシンに異変を感じていた。
普通、レースに出る場合でもエンジンがタレた状態で乗り込むことはない。
が、8耐では2時間走行後のマシンに乗る訳だから、そのギャップがある。
給油をしながら、前走者の春名に状況を聞くがまだ安心はしていない。
そして、ピットから離れ1コーナーへ向かったとき驚いた。
「このマシン、まだまだ行ける」

いつ出力が落ちてくるかヒヤヒヤしながらタコメーターを睨む。
若干回転数が落ちてきているものの、さほどではない。
各チームのラップタイムが徐々に落ちてきている中、3秒台をキープしている。
「これはいけるかもしれない?」

4スティント目の杉山へバトンタッチをする。
我々のマシンは初期型の燃料タンクなので、ピットインのたびに満タンにする必要がある。
以前は大体、4リッターで間に合っていたのが、4.5リッターは消費している。
エアインテークを前に向けたために、燃料を多く供給しているためだ。
しかし、これによってタンク容量ギリギリまでの給油をするのである。
これがかなりシビアで難しい。
杉山を送り出し、タイムを確認してやっと一息つくことにする。

現在、トップを走行している。。。。
8耐での初体験領域に突入し始めたのだった。


今回のレースでは、電光掲示板の不調により逐一の順位が判らない。
それで、2時間おきの経過表が発表されるのを見るのだがどうもこれもあてにならないのだ。
例えば、ピットインのタイミングを考えると、ロスタイムは90秒ある。
ここ場合、前後の差が0周と出されているときには
前に90秒のマージンがある可能性もあるが、後ろに90秒遅れている可能性もあるのだ。
前後の経過を睨み、このあたりかな?というのはあっても確実なところは判らない。
判ればわかったで焦るのかも知れないが、今はペースを維持するしか方法がないのだ。

他のマシンのラップタイムを見てもまだまだウチのマシンの方が速い。
その間、小さなトラブルは発生する。
まずはライトステーが折れる。これはスペアを用意していたためすぐに交換できた。
シートのボルトがゆるんだこともあったがこれも大して影響はなかった。

5スティント目となる春名のドライブ。一旦ライトを点灯させて走行させてみる。
4時間を経過しようというあたりだが、これまでの振動などから
ライトオンのタイミングに点灯できないことを恐れたのである。
点灯できない可能性は振動だけではない。
今回は、電装系が全く新しくなりスイッチも増えている。
接点が多いと言うことはトラブルの可能性も高い。
また、ジェネレーターの出力が適正であるかどうかのテストもしていなかった。
が、しばらく点灯して走行させてみたが、全く問題ないのが確認できた。


5時間に入ろうという私のスティントで一旦ライトを消す。
あり得ないだろうがバッテリーを充電させるためである。
いざとなった場合は、バッテリー直接の配線が必要となるからである。

そして、私は見にくくなりつつある回転計を睨んだ。
確かにパワー感が若干ではあるが落ちてきている。
回転数を確認するポイントは何カ所かある。
最大回転数となる3コーナー入り口。中間加速の必要な10コーナー入り口。
この2つが高い方である。余裕がある場合はZコーナーの進入も確認している。
最低回転数は、立ち上がりポイントの4コーナー、Zコーナー、11コーナーの出口。
それと、コントロールライン上での回転数である。
これらを総合的に考えて現在のエンジン・駆動系の状況を掴むのだ。
5時間経過した状態でも、まだ200rpm位しか落ちていない。
そして駆動系のキックダウンの音もきちんとしている。

FK-9の駆動系は、スクーターと同じ物である。
この解説は別ページに詳しくあるのだが、非常に複雑な要素を持っている。
例えば、エンジンパワーが平均的に落ちてきているだけであれば
それだけで変速ポイントを変更するのは無意味である。
しかし、スクーター系の変速システムは走行抵抗が変速に大きく関与してくる。
正確には、エンジンの力が無くなってくるとキックダウンが起きにくいのである。
これを助けてやるためには、プーリー内のウェイトを軽くするか
コンプレッションスプリングを強くするしかない。
このあたりが、スタート時点で予測をしなければいけない大事な部分なのである。
これは、耐久性を上げるために行うデチューンとは全く逆の意味を持っている。
この組み合わせが、前日偶然にも出来上がっていたことは驚きである。


さて、このころからたぶん他車もそうだと思うのだがブレーキのトラブルに悩んでいた。
今回は初めて使うブレーキパッドだったのだが、どうやらこれは温度に敏感らしいのだ。
普通の気温までは何の問題もなく効くのだが、
コースがだんだんと寒くなっていき、ブレーキの適正温度を下回るようになっているようなのだ。

いつものポイントでブレーキングを開始すると、止まれない。
かといって早めにブレーキングを開始すると、急に暖まってドカンと効くのだ。
これは、レース開始直後から感じていたことなのだが、その症状が徐々に顕著になってきた。

しかし、もう騙し騙し行くしかない。
コース上はライトオンが開始され、この後もこの症状に付き合い続けることになるだろう。

残り2時間、春名のスティントにはいる。
杉山が、注意して欲しいとブレーキの状態を伝える。
6時間経過の状況を考え、たぶん2周以上の差があるだろうと予想し
「全体のラップタイムを見て大事にはこんで欲しい」と伝える。
コースインした春名は、かなりラップタイムに変動がある。
5秒台前半、7秒台、10秒台?
ペースアップの指示を出そうかどうかも迷った。

そして、残り時間の計算をした私は意外なことに気が付いた。
9スティントでは間に合わないのである。
考えてみれば当たり前である。
55分の連続走行が限度であるこの大会では、そのままの計算では9スティント。
しかし、1周1分を超えるコースで55分ギリギリというのは難しい。
ちょっと計算してみよう。
8時間は480分だからこれを単純に9人で走れば53分20秒。
これより短くなると9人では走りきれない。
(ちなみに、10スティントだと48分、4分40秒の違いしかない)
ピットインラップのロスタイムは約10秒。
つまり、5秒台のマシンでは1分15秒ほどかかる計算になる。
逆算していくとコントロールライン上で53分45秒時点でギリギリ。
早くはいる分には52分05秒時点となる。
ということは、この間1分40秒の余裕しかない。
ピットサインを見逃して1周多く走れる可能性は、35秒の間だけなのだ。

もし春名が55分走りきったとしても残り60分。
どうしてももう一度ドライバーチェンジが必要となったのだ。
無理を言って杉山にもう1スティント10分間だけ走ってもらうことにする。
しかし、最大の衝撃はこのとき襲ってきたのである。


まず1つ目は、燃費である。
春名が戻ってきたときに満タンにしたとしても、残りの時間は60分。
ギリギリと言うよりもかなり辛いかも知れない。
そうすると、結局もう一度わずかながら燃料補給が必要なのだ。

それともう一つ情報が飛び込んできた。2位のマシンが同一周回になるというのだ。
残り時間から計算すれば彼らももう1度ピットインが必要なはずである。

そして、ここで大きなミスを犯してしまう。
杉山のピット作業で燃料を満タンにしてしまったのである。
前述したが、満タンギリギリの給油はかなり難しい。それだけ時間がかかる。
適当な量の燃料を入れ少し長く走ってもらい、
最後にまた適当な量を給油した方が時間的には少なくて済むのだった。

杉山はなかなかペースが上がらない。これは体重が影響している。
2位のチームがピット作業を行い1周半の差が付いたはずだが
こちらはもう一度ピット作業が必要なのである。
焦る。
早めにピットインさせればペースを上げられるかも知れないが
また満タン作業をするために時間がかかってしまう。
残り45分まで引っ張ってピットインさせる。
給油口の蓋がうまく閉まらない。
ピットアウトした私は、2位のマシンと同一周回になってしまったことを知る。

しかし、今度はマシンが音をあげはじめた。
ここに来て低速の加速不良が出ているのだ。
何度か押さえてみるがストレートで抜かれてしまう。
それでも、体を伏せながら出来る限りの追い上げをはかるがラップタイムも上がらない。
徐々に離れていく。

もう、どうすることも出来ない。
ここまで、よくこのマシンは持った、、、と思おうとするがなかなかできない。
ホーンを鳴らし、ハザードを点滅させながら最終コーナーを立ち上がる。
私も悔しいが、チーム監督の妻やドライバー達はどう思っているだろう?
私が優勝を逃してしまったのではないか?

そして、チェッカーフラッグを受ける。


が、出てきた正式最終結果を見て驚いた。
なんと、一番上に Team KUMI  & 畳のほりごめRacing with COMTECH と出ている。
目を疑った。
計測器の不調で、2重に周回が記録されたマシンがあったようなのだ。
そう、トップチェッカーのマシンもそれだった。
正直に言って、気の毒に思う。
そして、2番手にはアクシデント続きの#3が入っていた。
正直言って、途中からはノーマークだった。

この変な気持ちは何だ?嬉しいのか?驚きなのか?
よくわからない状態になってきた。
目指していた物がこんなあっけない形で出されるとは。。。
それと同時に、欲も出てきた。
「ああ、チェッカーの瞬間に優勝が実感できたら・・・」と


春名はチェッカー直前にこう考えていたそうである。
「あのとき、ペースダウンしないで、もっとしっかり走っていれば・・・」
それは違う。
私は最後のスティント終盤でマシンの出力低下を感じていた。
あのペースダウンがなかったら、もっと酷い状態になっていただろう。
ましてや、マシンが持ったかどうかも保証できない。

先日テレビでこのレースの一部が放送された。
チーム監督でもある私の妻は、レーススタートに合わせて2つのストップウォッチを手にしている。
一つは経過時間の計測、もう一つはスティントの計測である。
ガソリンの手配も彼女の仕事だ。

杉山は、このレースのためにSL最終戦を欠場した。
真新しいバラクラーバも購入した。
キャンピングカーに寝泊まりしながらの参戦。

ドライバー3人とチーム監督。
たった4人でのチーム。
でも、この4人だけでレースをやっている訳ではない。
大人げない遊びのために家庭や仕事場を守ってくれる人たち。
そうだ、杉山の奥さんも食事などいろいろなところに気をつかってくれている。

こんなちっぽけなレースであっても、
マシンはたくさんの人の支えで走っているのだ。
そして、たまたま表彰台の中央に立つ幸運に恵まれただけだ。


最後に

掲示板で「私はマゾだ」と書いた。(笑)
私は、レースをやりたい気持ちもあるが、そこに参加してくれる人たちが
「ああ、楽しかった」「また参加したい」
と言ってくれることを楽しみに苦痛(?)に耐えている。

そう、参加してくれる人たちがいなければ、レースそのものは存在しない。
そして、準備の最中は必ず「もう2度とやるもんか」と思うことが数度ある。
しかし、それが終わった今、
また来年に向けての準備、苦痛を探し求めているのである。

そして、一つ思い出したことがある。
一番苦痛に耐えているのは、マシンなのかも?

95年から96年まで、レースを含めて月に4回はサーキットに行っていた。
平均80周だとしても 80×408×24=783,360(m)
97年は3度のレース。前日50周、当日PQ.TT.予選決勝で60周で110×1050×3=346,500(m)
98年は4回のスプリント110×1050×4=462,000(m)
耐久2回は前日60周当日20周と決勝周回数で411×1050=431,550(m)
99年から2002年まで同様に計算すると
スプリントが12回なので110×1050×12=1,386,000(m)
8耐が4回で(60×4+255+422+371+430)×1050=1,803,900(m)
合計すると、5,213,310m にもなった。

この距離が長いのか短いのか・・・
中古車市場ではお買い得の走行距離。B-29爆撃機の航続距離。
JR大阪環状線なら240周あまり。
青森ICから九州末吉財部ICを往復しても4200km位。
わかりにくい。。。

が、ここまでよく頑張ってくれたと思う。
フレームそのものは交換していないのでずっとつきあっていた訳である。
5,200Kmもの全開走行に。
これからも、この距離は伸びていくのだと思う。
地球1周は4万kmもあるのでとうてい無理だが
チーム監督と私の夢・希望を運ぶのだろう。


一応、終了・・・2002/12/2