ホリーたたみのレースリポート

98 Q!MARU ナイター2時間耐久レース  1998年9月5日

当初8月29日に行われる予定だったナイター耐久レースは、台風の影響から9月5日に延期された。
私も、個人的に今回のレースの開催を楽しみにしていたので非常に残念だった。

各チームもこの影響が出て、耐久優勝請負人の矢竹が出られなくなってしまった大坂チーム、レンタルチームもスケジュールの都合から1台減ってしまった。

8月22日に行われた合同練習で、非常に良い感触を得ていたのは鈴木隆史。この時点ではまだタイムは甘いものの、マシンも大幅にモディファイが施されており期待できる。そして、1周だけの2秒台に入れたのは、ささき恵一チーム。(実は本人としては隠しておくつもりで他の周回はゆっくりと走行していたらしい。しかし、他のチームは見逃さなかった。)堀籠のチームは、タイムはそこそこだったので燃費計算に専念した。今回のペアドライバーはRA飯能でチャンピオンも獲得している杉山。充分なデータが得られたようだ。

9月5日当日。暑くもなく非常にすごしやすい天候に恵まれた。
フリー走行で、私のチームは3秒台に入る。しかし、ここで判断ミスをしてしまう。通常であれば最終コーナー立ち上がりで7000rpm で、ラップタイムも2秒台を目標にするのであるが、6850rpmからの立ち上がりで3秒台。本来ならばウェイトローラーの調整をするのだが、それをやらないでしまうのである。案の定、鈴木チームが2秒台でポールポジション獲得。そして、決勝までの30分でも 調整をするかどうかで悩んでいたのである。実は、その時のウェイトローラーの状態は6.5g X 6で、この6.5gよりも軽くするということに抵抗があったのである。下手に回転が上がりすぎたら、耐久性で不安だったのである。

さて、ピットインのタイミングに関してはギリギリではあるが満タン4.9リットルで1時間は間に合うという計算が出来た。ローリング中は追いつくことを予想していたので、3回のルーティンのうち2回を前半で終わらせてしまって、最後のピットインはローリング終了直後に行い、満タン給油でノンストップ作戦を考えていた。

19時ちょうどにレーススタート。
好調の「おフェラーリ・マダムクラブ」の大泉たくま(15歳!)は、後方をどんどん引き離していく。予選不調の「マジカルナカムラレーシング」の佐田は1周目でキャブの不調のために緊急ピットイン。ここから猛追劇が始まる。序盤の主役は「Team KUMI & 畳のほりごめRacing」の堀籠、「ナースのお仕事 with 畳のほりごめ」の春名、「バイアグラ大坂」の星、この3名の3つ巴のバトル。お互いにスリップストリームを使いながらの白熱したポジション争いは、見る者をも熱くさせた。30分経過時点で星と春名はピットイン。堀籠の単独2位走行となる。その堀籠がピットインしたのは、45分過ぎ。杉山から再び堀籠に代わったのは50分頃であった。
しかし、この時点で堀籠チームは大きなミスを犯してしまう。ローリングを見越しての作戦は「トップと同一周回の場合」であったが、既に大泉たくまは1周前に行っている。ここでは、2周の遅れにならなければ良かったわけだ。それならば、少しでも給油をして 最後のピットインでの給油時間を短くする方が得策であった。しかし、コース復帰。そのために大坂チームが追いすがることになってしまう。ローリング後の再スタート。なかなかペースは上がらない。そして、2位には車が復調した「マジカルナカムラレーシング」 の佐田が上がってきた。3位には星。ここで、大坂は何を思ったのかピットインを敢行。勝手に5位まで順位を下げてしまった。
2番手走行中の佐田は、トップと同一周回まで追い上げてきたが、残り時間を見た監督の中村はピットインの指示。ささき恵一にチェッカーの役目を渡した。結局、レースは全車を周回遅れにして1秒台のペースで走行を続けた「おフェラーリ・マダムクラブ」の 鈴木・大泉組が圧倒的な優勝。2位には「マジカルナカムラレーシング」のささき・佐田組。3位には「Team KUMI & 畳のほりごめRacing」の堀籠・杉山組が入った。

後日談・・・・
優勝した鈴木から、私の自宅に電話が入ったのはレースの4日前のことだった。立ち上がりは良いのだけれどもストレートが伸びずに頭打ちになると言う。ウェイトローラーのセッティング方法を教えた私。。。。見事に当たっていたのだ。それなのに、自分のチームではその経験を活かせなかった。やはり、定期的に走っていないと、データとして不安になってしまうのだ。燃費に関しても、計算通りであったが、それすらレース中は心配していた。練習とデータ取りは大切だと改めて感じたレースであった。