新々Tackmixブログ - 良いモノを見せる努力
具体的に何のこと・・・とは言えないので、一般的なこととしてなのですが・・・
今、いろいろなものが安くなってきている。
それはそれでいいのだけれども、「安くて高品質」っていうのはなかなか無い。
大量生産型の工業製品など、それなりの理由があるなら別だけれども。
判っていて安いモノを買うのと、判らずに安いモノを買うのは、全く意味が違う。
例えば、ウチで買ったFAXは、複合型のインクジェットタイプ。
俗に言う、プリンタ・スキャナ・FAX付き・・・っていう感じですね。
価格は2万円ほど。
性能も著しく向上しているけど、昔の製品は壊れなくてね。
10年なんて平気で使えた。
でも今回のモノは、2年で壊れても良いと思って買っている。
壊れる頃は、元を取っているし、性能が上がっていると思うから。
ノートパソコンもそうなんですよ。
3年たてば、使い方にも寄るけど性能は1/10位になってしまう。
だから、4?5万のモノで良いと思って買っている。
ところが、そういう考え方って、モノの良し悪しの判断が出来ないと無理。
スーパーのお寿司と、回転寿司と、値段表のないカウンターで食べる寿司が全く違うことを知っている。
でも、それを知らずにスーパーのお寿司を買った外国人は、
「スシハヤスイシヘルシー」でしかなくて、マグロ1慣2000円なんて考えられない。
こんな時代になっていないだろうか?
昔、カメラの性能はプロ用機材とアマチュア用では雲泥の差があった。
当然の事ながら、プロ用機材はべらぼうに高い。
だから、写真を商売とするには、それなりの覚悟が必要だったし、
画質の上下は、写真の芸術的な質としても上下が比例していたんだよね。
でも、今は携帯でさえ、一昔前の高性能デジタルカメラを上回っている。
誰でも高画質な写真を撮ることが出来るようになる。
そうすると、画質の良し悪しは、芸術的観点とは全く関係なくなってしまう。
ところが、出版社などが経費の兼ね合いから、芸術的に劣っている写真でも人件費などの観点から採用してしまっている。
これは、もう10年以上そうなっているかな?
そうすると、世の中には「良い写真」は少なくなってきて、「良い画質の写真」しかなくなってくる。
これを子供達が見て育つというのは、どういう事が起きるだろうか?
音楽も同じ。
楽器が安く手にはいるようになって、高音質の録音が簡単に出来るようになる。
そうすると、芸術的に優れている音楽じゃなくとも、CD等にリリースできる音質になってくる。
こんなものがたくさん出回って、それを聴いて育つ若い人達が、どうやったら良い音楽を作れていくだろうか?
素晴らしい音楽、素晴らしい写真、素晴らしい製品とは、単に安いだけではないはず。
必要最低限のモノは、生活していく上で、余裕なんて考えずに使うもの。
そんなところから、良い文化なんて生まれやしない。
評論家も、メディアに使ってもらうため、または様々な力の関係から、モノの評価を正常に出来なくなっている。
一般人以外で「誰々の今回のアルバムは酷いな」と書いているか?
褒めちぎる言葉ばかりでは、制作者が勘違いを始める。
これでいいのか?
「2番じゃダメなんですか?」と聞く意味がわからない。
1番を目指すかどうかは別として、あることを本気になって追求したら、きりがないのが本当だ。
2番で良いかどうかは別として、「仰る意味はわかるんですが、これしか予算がないので、これで何とか頑張ってもらえませんか?」と、何故言えないのか?
ちょうど僕らが成長するあたりに、大人達はモノの良し悪しの判定をやめた。
運動会で順位をつけるのはやめようとか、みんな仲良くとか。
それはね、その子供達の能力評価を「責任持ってやる」というのを放棄した結果だよ。
その子供達が、今、親になっている。
自分中心でも良い。でも、相手を評価できなかったら、ただの自分勝手になる。
そして、様々なモノを省いた「格安品」を、同じような視点で買って不満を言う。
いや、不満を言っているウチは良いんだろうね。
そのうちに、それが一般的なクオリティーになってしまうとどうなってしまうのか?
僕らの世代は、辛うじてその違いを知っているはず。
だから、体が動くウチに、耳が聞こえるウチに、目が見えるウチに何かをしなければいけないんじゃないか?
今、いろいろなものが安くなってきている。
それはそれでいいのだけれども、「安くて高品質」っていうのはなかなか無い。
大量生産型の工業製品など、それなりの理由があるなら別だけれども。
判っていて安いモノを買うのと、判らずに安いモノを買うのは、全く意味が違う。
例えば、ウチで買ったFAXは、複合型のインクジェットタイプ。
俗に言う、プリンタ・スキャナ・FAX付き・・・っていう感じですね。
価格は2万円ほど。
性能も著しく向上しているけど、昔の製品は壊れなくてね。
10年なんて平気で使えた。
でも今回のモノは、2年で壊れても良いと思って買っている。
壊れる頃は、元を取っているし、性能が上がっていると思うから。
ノートパソコンもそうなんですよ。
3年たてば、使い方にも寄るけど性能は1/10位になってしまう。
だから、4?5万のモノで良いと思って買っている。
ところが、そういう考え方って、モノの良し悪しの判断が出来ないと無理。
スーパーのお寿司と、回転寿司と、値段表のないカウンターで食べる寿司が全く違うことを知っている。
でも、それを知らずにスーパーのお寿司を買った外国人は、
「スシハヤスイシヘルシー」でしかなくて、マグロ1慣2000円なんて考えられない。
こんな時代になっていないだろうか?
昔、カメラの性能はプロ用機材とアマチュア用では雲泥の差があった。
当然の事ながら、プロ用機材はべらぼうに高い。
だから、写真を商売とするには、それなりの覚悟が必要だったし、
画質の上下は、写真の芸術的な質としても上下が比例していたんだよね。
でも、今は携帯でさえ、一昔前の高性能デジタルカメラを上回っている。
誰でも高画質な写真を撮ることが出来るようになる。
そうすると、画質の良し悪しは、芸術的観点とは全く関係なくなってしまう。
ところが、出版社などが経費の兼ね合いから、芸術的に劣っている写真でも人件費などの観点から採用してしまっている。
これは、もう10年以上そうなっているかな?
そうすると、世の中には「良い写真」は少なくなってきて、「良い画質の写真」しかなくなってくる。
これを子供達が見て育つというのは、どういう事が起きるだろうか?
音楽も同じ。
楽器が安く手にはいるようになって、高音質の録音が簡単に出来るようになる。
そうすると、芸術的に優れている音楽じゃなくとも、CD等にリリースできる音質になってくる。
こんなものがたくさん出回って、それを聴いて育つ若い人達が、どうやったら良い音楽を作れていくだろうか?
素晴らしい音楽、素晴らしい写真、素晴らしい製品とは、単に安いだけではないはず。
必要最低限のモノは、生活していく上で、余裕なんて考えずに使うもの。
そんなところから、良い文化なんて生まれやしない。
評論家も、メディアに使ってもらうため、または様々な力の関係から、モノの評価を正常に出来なくなっている。
一般人以外で「誰々の今回のアルバムは酷いな」と書いているか?
褒めちぎる言葉ばかりでは、制作者が勘違いを始める。
これでいいのか?
「2番じゃダメなんですか?」と聞く意味がわからない。
1番を目指すかどうかは別として、あることを本気になって追求したら、きりがないのが本当だ。
2番で良いかどうかは別として、「仰る意味はわかるんですが、これしか予算がないので、これで何とか頑張ってもらえませんか?」と、何故言えないのか?
ちょうど僕らが成長するあたりに、大人達はモノの良し悪しの判定をやめた。
運動会で順位をつけるのはやめようとか、みんな仲良くとか。
それはね、その子供達の能力評価を「責任持ってやる」というのを放棄した結果だよ。
その子供達が、今、親になっている。
自分中心でも良い。でも、相手を評価できなかったら、ただの自分勝手になる。
そして、様々なモノを省いた「格安品」を、同じような視点で買って不満を言う。
いや、不満を言っているウチは良いんだろうね。
そのうちに、それが一般的なクオリティーになってしまうとどうなってしまうのか?
僕らの世代は、辛うじてその違いを知っているはず。
だから、体が動くウチに、耳が聞こえるウチに、目が見えるウチに何かをしなければいけないんじゃないか?




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